歯の表面に、まるで鉛筆で描いたような一本の黒い線。着色汚れかな、それとも初期の虫歯だろうか。そう考えている方も多いかもしれませんが、それはもしかすると「亀裂(クラック)」、つまり歯が割れている、あるいはヒビが入っている危険なサインかもしれません。歯は人体で最も硬い組織ですが、決して無敵ではありません。日々の食事でかかる強い力や、睡眠中の歯ぎしり、食いしばりといった過剰な負担が長年にわたって蓄積されると、歯の表面に目に見えないほどの微細な亀裂が入ることがあります。最初は無症状ですが、この亀裂にコーヒーやお茶などの色素が入り込むことで、黒い線として目に見えるようになるのです。この段階では、まだ歯の表面のエナメル質にとどまっていることが多く、痛みを感じることはほとんどありません。しかし、この亀裂を放置し、さらに強い力がかかり続けると、ヒビはエナメル質の内側にある象牙質にまで達します。象牙質には神経につながる細い管があるため、この段階になると、冷たいものがしみたり、噛んだ時に特定の場所でピリッとした鋭い痛みを感じたりするようになります。これを「亀裂歯症候群(クラックドトゥースシンドローム)」と呼びます。診断が非常に難しく、レントゲンにも写らないことが多いため、原因不明の歯痛として見過ごされてしまうことも少なくありません。さらに状態が進行し、亀裂が歯の神経にまで達してしまうと、激しい痛みを伴う歯髄炎を引き起こします。そして最悪の場合、亀裂が歯の根元まで完全に達してしまい、歯が真っ二つに割れる「歯根破折」という事態に至ります。こうなると、多くの場合、歯を保存することは不可能となり、抜歯以外の選択肢がなくなってしまいます。歯に現れた一本の黒い線。それは、あなたの歯が「もう限界だ」と悲鳴を上げている証拠かもしれません。ただの着色と自己判断せず、できるだけ早く歯科医院で専門家の診断を受けることが、大切な歯を失わないために絶対に必要です。